忍者ブログ
以前すくすくでやってたブログを移行~のはずがうまく出来ないので新たに2として開始^^ ~お知らせ~ 最近、ドイツなのか英語圏なのかウイルスなのかわかりませんが、トラックバックを貼っていたりコメントが目立ちますので、トラックバックに関しては、管理人が承諾後に許可をすることにします。ひどい場合はコメントも同様の対応をとる場合があります。
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

2008年6月8日に東京の秋葉原で起きた事件をご存知の方も多いだろう。

戦後最悪とも評されるほどの事件となった。今回の凶悪な事件については、今後さらに詳しいことがわかったいくであろう。現段階では事件の背景など、ほとんどわからないに等しい。かなりの情報が錯綜し、かなりの情報が制限される。その状況下での判断は危険である。

だが、連日のニュース報道はかなりの偏った情報を流し、大衆をコントロールしているように思われる。

事件が起こった当初、秋葉原という場所と関連させてか、犯人は秋葉原にも通う「オタク」というラベルが貼られた。「オタク」文化という言葉が作られたように、「オタク」という言葉にはどこか、普通の人間と思われる人々と区別される。さらには、日本人の中で、いつの間にか生みこまれてしまった、「オタク」の危険性。現実の虚偽の世界の区別がつかなくなっている人が多い、現実逃避しているなどのレッテル。それらを連想させるように、「オタク」というラベルを犯人に貼り付けている。

さらに数日。今度は犯人に「トヨタの派遣社員」という情報が付与された。「オタク」のラベルは、「トヨタの派遣社員」というラベルの下になってしまった。リストラ計画の話、犯行直前の彼の異常な行動。そういったものが報道され、彼自身の異質さを流す。

さらには、小・中・高の話や卒業文集についてが報道される。ここでは、「オタク」の側面や、彼だけの人生の特有性を強調して報道される。

おそらく、これらの情報は情報として、嘘ではないであろう。事実的に存在する。だが、その情報の脈絡はメディアが生み出したものであり、今回の事件といかに関係あるか、については何の保証もない。

もちろん、メディア側もそのことをはっきり言っていない。誰も関係あるなんていってない。ただ情報として流しただけだと主張する。視聴者に勝手に思い込んでもらう細工はしているが、と言った感じである。

今回の事件の内容について、現段階で何か判断することの危険性はここにある。メディアのやり方によって、我々は勝手に脈絡をつくり、真実だと思い込み、犯人像を作り上げている。情報に踊らされている。そのことにも気付かず、我々の多くは、正しい判断をしていると思い込む。もしくは、この事件に対して興味を示さず無知で過ごすかもしれない。

だが、世の中には私のように、メディアとの関係に危惧し、自身の中で主張を持つ人間いるであろう。そしてまた、彼らは彼らで今回の事件について様々な分析をしているだろう。

最初に「オタク」というラベルが貼られ、次に「トヨタの派遣社員」というラベルが貼られたのか。私の聞いた話では次のようなものがあった。

「オタク」は現在の日本の中で、変わったもの、風変わりなもの。現実とバーチャルの区別がつかない。だから、今回のような事件が起きた。そして、「トヨタ」というのは世間にも影響力を示せるほどの大企業。イメージダウンを避けるためにも、最初のほうは報道されなかったという捉え方。

この考え方も一理あると思う。ただし、これは経済という立場から見た考え方であり、かなり表面的な問題を提示しているだけに過ぎない。たとえ、このような風潮を問題視したところで、今後このような事件を防ぐ手立てとはなりえないであろう。この事件の根源について少しも触れられていないためである。

では、この事件の根源に少しでも触れるにはどうすればいいのか。しかし、現段階では事件の情報があまりにも少ないために事件の根源に触れることはほぼ不可能に近い。事件の根源に近づけない以上、表面的にしか考えられないと思うかも知れないが、ほかにアプローチに仕方は存在する。

今回考えたいのは、事件というよりも、メディアと我々大衆との関係についてである。今回の事件をきっかけに、現在問題視すべき課題がはっきりした。だが、そのことは恐らくほとんどの人には気付かれていない問題であるかもしれない。そして、その問題を突き詰めていくことは、この事件の根源を探ることと近いものになると思われる。

まず、「オタク」というラベルを貼ったことについてである。なぜ、メディアは「オタク」というラベルを貼って、視聴者に伝えたのか。それは、我々視聴者を敵に回さないということと、我々を守るためである。

人間は、現在社会の中に構成され、本来野生として備わっていた機能を犠牲にして暮らしている。もちろん、そのことが良いことか悪いことかわからない。ただ、動物の本質として、他を攻撃する衝動、物を破壊する本能を有するものである。それぞれの中に必ず、「危険」とされるものがある。

だが、それを人は認めたがらない。自分にそのような側面があることを、他者にばれることをひどく恐れる。そして、その存在を自分の中でも忘れ去ってしまおうとする。他人に阻害されることをひどく恐れる習慣のある日本人は他者と同じであろうとする。「危険」や「異常」は、自分の存在を脅かしてしまうのだ。

だから、他者が、今回のような残虐とも言うべき事件を起こせば、自分とは関係のない遠い世界で起こったものとして片付けたがる。犯人と被害者が檻の中にいて、視聴者はそれを檻の外からみようとするのである。己の中に備わっている「狂」を遠ざけて、安全なところから傍観する。それを意識せずに自然に行い、それを知ろうとすることを無意識的に遠ざけている。

メディアはそのことを知っている。大衆の反感を買わないようにするには、彼らに檻の外にいると思わせればいい。つまり、メディアが情報を取捨選択して、伝えることによって、檻を作り上げてしまえば、メディアは大衆から反感を買うことがない。また、メディアの檻を大衆は感じ取って、メディアを信頼する。メディアを攻撃することは檻を破壊し、自分にも被害が及ぶ可能性があるからだ。

つまり、メディアは、情報をコントロールし、檻の役目を果たすことで、大衆からの反感を買わずに済み、なおかつ、大衆を自己の「非」を認めることから遠ざけ、尊厳を守る。これが、私の考えるメディアの役目である。つまり、自己防衛というのは、犯人ではなく、メディアが己を守ることと、大衆が己を守るためにメディアに寄りかかることを示す。「持ちつ持たれつ」の関係である。

次に、「トヨタの派遣社員」というラベルを貼ったことについて。第一段階として、大衆に安堵感を与え、見方であることを指示できたメディアは、次に社会問題に対して大衆の目を向けさせる。

「経済格差」である。政府がしっかりしていないから、今回の犯人のように、派遣社員で働き、リストラなどが実施される。彼がその対象であったかどうかよりも、リストラという手段が人間にいかほどのストレスを与えているのか。大企業でもあるトヨタがリストラを考えるほどの経済状況なのかと、様々なことを考えさせるのである。

だが、このレベルはメディアが用意した思考でしかない。

このように社会について考え、問題点を知っていると大衆に思い込ませることが、メディアの狙いなのである。今回の事件では、「派遣社員」という「経済格差」の象徴とでもいえるべき言葉を繋げている。ニート、フリーター、ワーキングプア。社会問題を取り上げるためには、必ず準備運動がいる。今回はこの点で優れていた。

今や、現内閣の支持率はかなり低下してしまっている。国民の不満が高まってきているのは明らかである。そろそろ政治的にも動きがあってもおかしくない。政治運動や社会について考えることに大衆の目を向けさせなければならない。それは、大衆から「本能」を削り取るためである。

先ほど、人間は元々野生であり、本能を持ちうるものとした。この本能は現社会には適さない。経済システムの中に組み込まれ、社会から外れれば除外される。そして除外されたものは行き場をなくす。大衆は、ただメディアの流す主張や主義を我が物のように捉え、現行の社会システムに適した行動さえしてくれれば、メディアは安泰の地位を獲得できる。

本能で動かれ、本能的に戻ろうとされるとメディアは非常に困るわけである。本能に戻ろうとする活動が、行動的、暴力的であれば、法律が自然と取り締まってくれる。メディアが一番恐れるのは、知能で本能へ帰ろうとすることであろう。

言論の自由が認められた社会となっている。確かに、言論の自由は一見すると保障されている。だが、実際はどうであろう。メディアが国民を社会に向けたのは、言論の自由を使って、本能へ帰ろうと唱えようと考えさせないためではないだろうか。現行の社会システムはダメだ、メディアは情報をコントロールしている。などと人々が騒ぎ出し、言論の自由を駆使し、主張してきたらどうであろうか。

メディアは大衆を相手に商売している。現行の社会制度の一部である。いかに攻撃されずに、見方であるか。そんな風に思い込ませることが彼らの狙いである。敵視されては困るのだ。

今回の事件を通して、メディアと大衆の関わり方が見えた気がした。人間を社会システムの中に必死に押さえ込もうとするメディアのやり口としては常套手段である。かなりのメディア批判に聴こえると思うが、このメディアの体質を作り出してしまったのは、ほかでもない、人間である。

人間個々の自己防衛の働きが、集合し組織化してしまった結果でもある。だが、それは現在正常には働いているようには思えない。

今回の事件に関して、社会的な側面、経済的な側面だけを考えていては凶悪事件を減らすことは出来ないであろう。人間個々がそれぞれの「非」の部分に立ち向かい、その「非」が強くなり暴走しそうになったらどうすればいいのか、じっくり向きうしかない。

しかし、現行の社会はそんな時間を与えない。無視し続けることを強要しているのである。

だから、私は、このような事件を減らすことは不可能であると考える。現行の社会制度をすべて取りやめることなど、現状では不可能に近いし、現行の社会制度の中で「非」に向き合うこともなかなか難しいことである。

すべての間違いは「法」を作ったところから遡る。

人間の本能を奪った元凶は一体何なのか。そのことについても今後考えていく必要があるはずだ。
PR
カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
プロフィール
HN:
葡拿寡
年齢:
36
性別:
男性
誕生日:
1987/12/02
職業:
大学院生&塾講
趣味:
読書
自己紹介:
大阪市内に住む大学院生です。
専攻は国文学で、「諏方縁起」を中心に研究を進めていました。

しばらく、更新していなかったのですが、やっとこさログインできるようになったので、更新していこうと思います。
最新コメント
[07/31 Wearrible]
[05/28 Flowertoott]
[05/04 葡拿寡]
[05/04 葡拿寡]
[04/28 未来]
最新トラックバック
バーコード
ブログ内検索
カウンター
忍者ポイント広告
フリーエリア
material by:=ポカポカ色=
忍者ブログ [PR]