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以前すくすくでやってたブログを移行~のはずがうまく出来ないので新たに2として開始^^ ~お知らせ~ 最近、ドイツなのか英語圏なのかウイルスなのかわかりませんが、トラックバックを貼っていたりコメントが目立ちますので、トラックバックに関しては、管理人が承諾後に許可をすることにします。ひどい場合はコメントも同様の対応をとる場合があります。
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しばらく更新していませんでした。疲れてすぐに寝ていたってのもあるし、大学生活が始まったばかりで書くようなことを覚えていない・・・ということでしょうか?言い訳です^^

今日は書きます。なぜならネタがあるから。

英語の授業でJono Feldmanって先生が言ったことです。
もちろん外国人の先生で英語でおっしゃったのですが・・・

「書くことはみんなしている。コミュニケーションの基本」

なるほど。と思いました。すべての人が発信者・・・つまりはwriterってことですね。
書いたり、聞いたり、読んだり・・・言語の本来の役割です。
そんなことを改めて気づかされるとはおもいませんでした。よくよく考えると、このブログでさえも書くこと・・・つまりは僕もWriterですよ。
しかし、何か書くことをしているか?の質問のとき、ブログを思いつかなかったので、Storyと答えて厄介になってしまった・・・外国人にノンジャンルという言葉が通じないとわかった・・・

なぜStoryなのかというと、このブログでも「黄月」というのを(今は更新は滞っているが)書いている。携帯では「後部座席」というタイトルの小説を少しずつ更新している。

このことからストーリーとした。もちろんジャンルなどない。現実と虚偽を混ぜ込んでいる。

果たして、あの授業やっていけるのだろうか・・・とにかくpracticeといっていた。
そうだ。それしかない・・・
人それぞれに限界はある。effortをする。
努力・・・努力に関しては人には負けないつもりだ。はっきりいって、頭は元から良いってわけではない・・・いや、悪いのだ。この記事をどれだけの人が読んでいるかわからないが、偏差値30台の人間なのであったと明記する。
昔、相当馬鹿だった。テストで点数が取れない・・・そんなのは馬鹿ではないのだ。あほでもない。テストで点数が取れるから頭がいい・・・かもしれないがそうではないと思う。
あくまで言いたいのは、テストで点が取れるためにどうしたか?ということである。

自分自身・・・当時の自分を馬鹿と称するのは、努力をしていなかったからだ。たとえ、詰め込み教育といわれていようが、ゆとり教育といわれていようが、目の前の課題に対して、努力をせずに、その結果だけを見て、自分を卑下して、点数が取れる人を、元から頭がいい人などと割り切っていた・・・それが馬鹿なのだ。

点数が取れるやつはそれなりの努力をしている。テストの点数に見合う努力だ。そのためには何か犠牲になっている部分があるかもしれない・・・勉強して点数をとったのに、テストがすべてじゃないと片付けられているのはかわいそうだと思う。もちろんテストがすべてじゃない。すべてじゃないが、認められる一部ではないだろうか?

僕は両方を見てきた。
そう思っている。テストで点数がとれず、すでに躓いて学校の授業が理解できずに勉強がどんどん嫌になって努力を怠っていく・・・そして評価が悪いのにまだマシだとか思い出す。理解できないことの苦しさ。理解できないがために努力に気づかない・・・そんな経験をした。だから高校受験に対してはがんばれたのかもしれない。

そんな経験をして、高校では勉強した。クラスでも結構上位にいた。今度は逆の立場だ。テストで点数が良いと、うらやましがられ、俺には無理やとか頭良いなぁとか言われた。何もうれしくなかった。当たり前である。なんといったって、テストで点数を取るために毎日2時間は勉強していたのだ。それだけやって下位にいたのでは情けない・・・
しかし、学校で上位にいても受験には失敗した。
いや、失敗というのはおかしいかもしれない。当然の報い、そのものである。

国公立大学を志望するやつは高校もそこそこ良いところにいってる連中で、勉強していないよって感じでありながらどっかでかなりの努力をしているはずである。
つまりそれが高校時代でないにしても、小学校、中学校で周りが遊んでいる間に努力を重ねているのだ。もしかすると、しらずのうちに、幼いころ、親の手助けがありながら努力をつめた人がいるかもしれない。
僕が努力したのは中三の6ヶ月間と高校の3年間だけ。そして浪人した一年間。

よくよく考えたら、勉強で努力したのはたったの4年半。

どうだろう?どんな子供でも、4年半勉強すれば大学にいけるのではないだろうか?資金的な面の関係もあるだろう。しかし、それをクリアさえすれば、なんとかなるのである。(僕が思うに、4年半でもみっちり努力できれば、試験面も努力でなんとかクリアできる気がする。)

僕は教師を目指す。
それが一番の目標だ。どんな人でも得意不得意がある。もちろん、それは仕方のないことかもしれない。しかし、小中高の学校の授業はそんな得意不得意でできる・できないが生まれるものではないと思う。ようはどれくらい努力したか。それが反映される。

もちろん、努力は目的なくしては空回りする。しかし、無駄な努力はない。きっと何がしかの結果を得る。たとえ、壁をすり抜ける!と努力すれば、壁をすり抜けるには肉体が邪魔である。肉体をどうこなして、壁を抜けるか・・・この用に次々と考えてけば、いずれ、肉体にしろ、壁にしろ、そのものが何たるかを得る。それもひとつの努力の結果である。

努力の結果はどう受け取るかでプラスにもマイナスにもなる。

マイナスに受け取るか?

気分がそうすることもあるだろう。
だけど、人生楽しいほうがいいのではないか?もちろん何もしないで、遊んで楽しいとは違う。苦しいの反対の楽しいである。それは幸せともいえるだろう。プラスはプラスを呼ぶ。たとえ、そこにマイナスが入ろうとも、次のプラスに変える力を与えてくれるものだ。

果たして自分にそれが出来るかわからない。しようとはする。授業がやっていけるのか弱気になることがある。だけど、意識の中に、今しかこれを克服するチャンスはないと思う。学生のうちは、どれほど失敗しても責任というのは軽い。もちろん刑事事件に発展するようなことは別だ。

今の自分に、未来の自分が言わずに済ませるために、今努力する。
その努力がいつか役に立つ。

それを少しでも出会えた人に感じ取ってもらえればうれしい。
自分の体には結構アレルギーがあって、生活に制限がある。
だけど、それをいつまでも悔やんでいても仕方がない。治そうとする。治らないかもしれないが・・・だけど、せめてそのことで悲観的にいるよりも、明るくしているほうが良いと思う。
生身の人間にパラメーター表示はない。ゲームのようにパラメーター表示があれば、限界点を知り、それ以前に対処し、ゲームを進める。
そう、アレルギーが僕の体のパラメーター。リミットを知るものなのだ。

昔から、何でもかんでも体を壊すまでやってしまう。今思えば、よく体が残っているものだ。僕はリミットを簡単に越そうとしてしまう。それへの警告であるかもしれない。

アレルギーは正直、僕にとってネックである。食事となると結構周りに迷惑をかける。だから、僕は理解してくれる人でなければ、深く付き合うことは出来ない。体が危ないからだ。

残念だが、病気やアレルギーに対して、冷笑的な態度をとる人がいる。自分には関係ないとしか思ってない人もいる。
そんな事実、アレルギーがなければ知りえない。体験を持って出しか当事者の気持ちは理解しがたい。だから、病気で悩む人の気持ちが痛いほどわかる。病気で死んでいくものもいる。つらいだろう。悲しいだろう。しかし、それも何らかの結果であり、何らかの意味を持つ。
彼らは、病気のために死ぬ。そのことで遺族は何かをつかむかもしれないし、本人も苦しみから解放されるのであろう。僕は今のところ死ぬ予定ではないようだ。こうして生きている。しかし明日何かで死ぬかもしれない。

だがそれも運命であろう。

そうであるときはそれを受け止める。そして、それが来るまでは生きることに努力する。自分は宇宙の地球の上にいる小さな生き物かもしれない。こんなことかいても無駄かもしれない。

それはそれでいい。

後世に偉人として残りたいわけではない。今を精一杯生きて、次につなぐ。
長い長いリレー・・・

自殺はそのリレーを棄権してしまう。

苦しさから逃れるために死ぬ・・・いじめによる自殺・・・いじめも経験がある。僕はいじめられていたが何かよくわからないが勝って(?)いじめから抜けれた。
いじめによる自殺・・・苦しいかもしれない・・・逃げれば楽だろう・・・だけど、そこは戦って欲しい。何も学校に苦しい思いして毎日行く必要ないだろう。何か方法があるはずだ。みんなそれぞれ苦しみは程度の差はあれ、もっているはずである。その時々の感情で流されることもあろう。そこは踏ん張る努力をしみたり、流されないと行動を起こせないなら、良い方向に流れるように流されてみたり、そういったことをしてみるものひとつだ。

人間の記憶なんてはかない。

たとえ、学校でいじめられていて、大胆に行動して戦う。。。恥ずかしいことかもしれない。勝ち目はないかもしれない。だが、間違ってはいない・・・もし、自殺を覚悟するなら戦ってから散ってみるもの悪くはないかもしれない。。。

こんなことをいってはいるものの、自殺については思ったことがある。
だけど、それはかなり昔。まだアレルギーもわかってなかったころだ。
そう、今は思わない。
楽に逃げない。楽できるのは良い。だけど、楽だからって逃げない。それならば、苦しさにあたって、自分が楽と思える範囲を広げる。そうすれば人生は楽になるのかもしれない。

やり方はいろいろある。

ブログもひとつの表現。
人生を考える上で自問自答できる場でもあるかもしれない。
今ある自分の生活。そしてその上に与えられた課題。
これも何かのめぐり合わせであろう。それを受け止めて精一杯がんばるしかないのだ。

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誕生日:
1987/12/02
職業:
大学院生&塾講
趣味:
読書
自己紹介:
大阪市内に住む大学院生です。
専攻は国文学で、「諏方縁起」を中心に研究を進めていました。

しばらく、更新していなかったのですが、やっとこさログインできるようになったので、更新していこうと思います。
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